14  護国教王山 常在寺 (じょうざいじ)  ≪708年/ 和銅元年 (飛鳥時代後期) ≫

 真言宗の寺で、塩田では最古の寺。
 寺伝によると京都仁和寺の末寺(御室派)で、和銅元年(708 年)に 鳥羽天皇の勅願にて 行基により開山されたとある。
 参道中段には、文政8年(1825 年)塩田郷の庄屋達から寄進された像高2.4mの仁王像(金剛力士像)【嬉野市指定重要文化財】が立っている。阿吽(あ うん)の顔いかめしく細かいところまで彫刻されている。これは塩田石工 筒井幸右衛門と その他5名の作。 本尊は平安時代作の薬師如来立像
 境内には塩田大明神、西へ1kmほど(塩田川上流)の 宮元 丹生神社を一の宮とする水神の二の宮社金毘羅社平敦盛(たいらのあつもり)供養塔がある。
 また境内を北へ回り込むと塩田津の町を一望できる高台へと出る。現在は常在寺の駐車場と佐賀県立塩田工業高等学校の実習棟が置かれているだけだが、その素晴らしい眺望から、1919年(大正8年)「保光園(ほこうえん)」という名で公園を一般に解放したとされる。すると、桜が見事だったこともあり 通称「桜公園」とも「塩田公園」とも言われ親しまれた。
 ≪いったつもり 写真集 ≫ (クリックすると拡大表示されるものがあります)

▲ 常在寺の由緒を示す石碑
・常在寺が鳥羽天皇の勅願寺であったことを示す。
後鳥羽天皇御下賜 大黒天が鎮座する。
こ と ば  (新明解国語辞典/三省堂 より)

勅願【ちょくがん】 天皇の祈願。 「--寺」

下賜【(ご)かし】 天皇・皇族などが何かを下さること。

▲ 南無慈母観世音菩薩
(昭和57年8月 建立)

塩田大明神

 ▲ 参道登り口から見上げる仁王像
(通りがてら ここから手を合わせる人も多い)

▲ 石段を登り始めて見上げる常在寺

仁王像(金剛力士像)・・・・ 1825(文政8)年
※ 現 在 嬉野市指定重要文化財

▲ 約200年もの間 仁王様が見守ってくださってきた塩田。
私たちのかけがえのないふるさとです。

二の宮
丹生神社は「一の宮」から 鹿島市北鹿島の「五の宮」まであり、「二の宮」は常在寺境内にある。水神様が祀られており、田畑を潤し、水害から人々を守る願いが込められている。
丹生神社は平安時代に編纂された「三代実録」貞観3年(861年)に記述されている歴史ある神社で、祀神は奈良県吉野郡川上村に鎮座する丹生川上神社と同じ「ミズハメノミコト」。 塩田川流域には6ヵ所の丹生神社が祀られている。

 () 1919年(大正8年)開園した「保光園(ほこうえん)」の碑
この保光園は塩田津の町並みだけでなく、遠くは鹿島まで眺めることができる絶景の高台である。
 春には桜が多く咲いたことから「私たちは桜公園と呼んでいたよ」と言う方もいらっしゃる。また、「塩田公園」と呼ぶ方もいらっしゃるなど、地域の方々に親しまれ、憩いの場所であったことは間違いない。

 ▼ 保光園跡地の高台から町を見おろした大パノラマ
写真はもちろん現在のものだが、これに「旧塩田川(昭和50年河川改修工事前)」と「旧長崎街道」を書き込んでみた。
 一説によると、塩田川はもともと自然にほぼ真っすぐな河川であったが、有明海に注ぐため、その干満の差(およそ10m)で生じる水運を利用すべく、宿場に川港ができるように川をカギ型に工事したのではないか とも言われる。
 その結果、満ち潮に乗れば 動力に頼らずとも川を遡ることができ、潮が引く頃合いに他地域に塩田の品を卸すなど川がちょうど現代版高速道路のような役目を果たし、主に廻船問屋が財を成した。
 反面、満ち潮や大潮と大雨が同時に起これば 町はたちまち水害に見舞われ、塩田津は「水害の町」という印象が大きい。が、水害で足止めを食った人々によって塩田津に様々な需要が生まれ、職人が育った。いつしか 塩田津は「職人のまち」とも言われるようになっていった。
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